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デフの宮田は、なぜSilent Voiceで働いているのか?
/ SocialTalk

デフの宮田は、なぜSilent Voiceで働いているのか?

皆さん、こんにちは。
Silent Voiceの宮田翔実です。
今回は、なぜSilent Voiceで働いているのか?について書いていきます。

1.大手証券会社への就職

私はデフです。
以前、大阪国際空港付近に住んでいましたが、補聴器なしだと飛行機が真上を飛んでいても全く聞こえません。

中学生の頃、聴者に近づきたい願望があり、手話をあまり使いたくないと考えていました。
しかし中学3年の時に、デフサッカー日本代表という存在に出会い、将来の夢を初めて持つことができて私の人生は変わりました。
そして高校・大学は、デフサッカー日本代表になることを目標としてサッカーに熱中しました。
結果的に大学2年の時、「第2回世界ろう者サッカー選手権大会」のデフサッカー日本代表に選出されました。

写真:デフサッカー日本代表のメンバー達(最後列右から5番目の背番号13番)

学生時代はサッカー中心に頑張ってきたので、社会人になったら次は仕事で活躍したいと思いました。なぜなら、私の父が上場企業に勤めており、活躍している話を母から聞いていました。その影響もあってビジネス漫画に興味を持ち、その中の一つ「サラリーマン金太郎」という主人公のバリバリ活躍している姿に憧れの気持ちを持ち、「父を超えてやる!」と次第に思うようになりました。

そのため、大学3年生から起業家の学生団体やイベントなどに参加し、情報収集をしていました。その中でSilent Voiceの代表者である尾中友哉との出会いもありました。大学4年生の時に尾中の紹介で、ある中小企業のインターンシップに参加させて頂きました。
就活の時、現在の社会情勢の変化に対しての好奇心があったので、金融業界を中心にエントリーをした結果、大手証券会社から障害者採用の枠で内定を頂きました。内定が決まったことをインターンシップ先の社長に報告したところ、「大企業よりもうちみたいな中小企業で働いたほうがいい」というアドバイスを頂きました。
しかし、私は安定した生活とデフが活躍できる環境が整っているであろう大企業で活躍することを夢見て大手証券会社に就職しました。

2.証券会社での挫折

入社後、2ヶ月間の新入社員研修では本社の方が隣で要約筆記など対応してくださり、金融業界に関する新しい知識を学ぶことができて、新鮮で充実した日々を送れました。
研修終了後に支店の総務課に配属されてからの数ヶ月は、仕事に慣れるために精一杯でした。しかし、仕事に慣れてきた頃になると、出勤する度に少しずつ違和感が膨らんできました。
受け持っている総務関連の仕事が昼前に終わる日が増え、新たな仕事はないかどうか教育担当の先輩に尋ねても特に仕事を与えてもらえず、自分で仕事を探そうと思っても整理整頓しか見つからない状態でした。

そこでデフ特有の壁にぶつかります。
聴者は仕事をしながら周囲の会話の内容を聞こうと意識しなくても音として入ってくるので一人一人の仕事状況を把握した上で何か困っていることがあれば自分から手を差し伸べることができます。
しかし、デフは仕事をしながら周囲の会話の声が聞こえないため、周りの人の仕事など現状を把握することができず、自分から仕事を探せる範囲がどうしても狭くなってしまいます。その壁をどうにか打開しようと思い、新入社員という立場で生意気ながらも下記のように周囲に提案して、できるだけの情報を得ようと動きました。


提案その1

組合の広報誌に全国の若手総務課が集まって情報交換を実施したという報告記事を見かけ、「人事部や組合に各支店で働いている聴覚障害者が集まって情報交換の場を設けてほしい、それが厳しいなら有志で企画をしたいので社内で働いている聴覚障害者のリストをください」と依頼したが、社員の誰が聴覚障害者かというのは個人情報保護上の問題があるとして、実現に至らなかった。

提案その2

支店の朝礼などで、情報を視覚化する手段として音声文字変換のツールである「UDトーク」の導入を提案したが、費用がかかるという理由で実現に至らなかった。

しかし、いずれも個人レベルで動いても中々実現できず、どのようにして仕事を進めたら良いのか分からない日々が続きました。配属以来与えられていた仕事も慣れてきて早く終わるようになり、新しい仕事も与えてもらえない、仕事を取りに行くこともできない。
ついに、あまりにも暇すぎてネットサーフィンしたり、うたた寝してしてしまう日が出てきました。それでも注意されることはなく1年が経ちました。

年度の終わりに上司との評価面談があり、自分はうたた寝など勤務中にしてはいけないことを堂々としてしまったことから、その件で注意されるのではないかと想定していました。
しかし結果は、「特に問題はない。現状維持のまま頑張ってください」という予想外のコメントでした。良くないことをしていた自覚のあった私は、自分からうたた寝などの行為について正直に伝えました。それでも上司は「言われている通りの仕事をこなしてくれているので問題ない」という返答でした。

その時、私は「自分はこれ以上の働きを期待されていないんだ」と知ったのです。それは、その上司の考え方というよりは、会社の考え方や国の障害者雇用の仕組みなどが複数重なり合って、生まれている環境に思えました。同時に、自分が目指していた活躍やキャリアアップをすごく遠くに感じてしまったのです。
このまま所属していても、仕事を頑張りたくても頑張れないのではないかと感じました。 

いつしか社外にも目を向けてさらなる成長の場を探るようになりました。証券会社の勤務を定時で退勤して、まだ会社を立ち上げる前の構想段階だったSilent Voiceの創業メンバーである尾中と桜井が当時ルームシェアしていた家に毎日通うようになりました。

写真:Silent Voiceの事業計画発表会にて。
当時、人前に立つ機会が少なかったのでとても緊張し、グタグタでした。