【インターンを終えて】きこえない子どもたちには社会を変える力がある_國富浩人くん
デフアカデミーのインターン生として2023年春休みに、香川大学在学中の國富浩人くんがレポートを書いてくれました。
子どもたたちや保護者の方と触れ合いながら、ご自身の過去を振り返り、未来を描く良い機会になったと言ってくださっています。
レポート内にある高校生時代の國富くんのお話は、ぜひご一読いただきたいです。とても、力強く、メッセージ性のある文章だと思い、そのままのご本人の文章のまま、ご掲載させていただきます。
少しでも何かヒントや感じていただけるものがあれば嬉しいです。
ーーーーー(下記レポート)ーーーーーーー
◆「あの子はここに来て変わった。」
きこえない子どもたちが生きていくうえで必要な場所だと心の底から思いました。
「いまからデフアカデミーを始めます!」
授業は元気のいいあいさつから始まり、前のめりに授業を聞く子どもたち。
聞かれたらここぞというときに勢いよくバッ!!と手をあげる子どもたち。
「ハーイ!!」
からだ全体を大きく動かしておれを指させと言わんばかり。
その子どもたちの背中をじっとみつめるまなざしはもの柔らかく、わが子の成長を願うお母さんたちの姿がありました。
私はふと気になりました。
DA(デフアカデミー )に入る前と入った後で子どもたちにどんな変化があったのだろうと。
そこで、お母さんに自分の子どもの変化やこれから身につけてほしいことはなにかを伺いました。
話を伺ううちに、きこえない子どもたちにとって視覚的に情報を100%得られること、手話を通して大人や友達と対等に話ができることが大切なのだと感じました。
「あの子はここに来て変わったなって。」
お母さんが最後に締めた言葉です。
その言葉を伺ったあと、その子の背中がいつもより大きく見え、頼もしく感じたのです。
◆「きこえる子どもとして産んであげられなくてごめんね。」~わたしの願い~
わたしはきこえる親のもとに生まれ、ろう学校に通ったことがありません。まわりにきこえないおとなや友達もおらず生きてきました。
皆さんも小学生の時にこんな経験がありませんか。
小学生の楽しみと言えば、さまざまなものがありますが、席替えもそのひとつです。
好きな子ととなり同士になれるのか、先生に当てられたくないから後ろの席がいいなど同級生にとっては一世一代の大博打という感じでした。
黒板には席の図があり、席ごとに1,2,3…と番号を割り振ります。生徒が中身の見えない箱から番号が書かれたくじを引きます。好きな子でもいたのだろうか引く前に両手のこぶしを握り合わせる同級生もいました(笑)
全員が引いた後に教師が自分の番号を探し、そこに机を動かすように指示します。
すると、全員一斉に黒板の方に行き、自分の番号はどこだと目を凝らして探します。
「○○の席はどこだ!?」
「近いな!!」
「ええっ・・・」
「やったあ!!」
激しく盛り上がりを見せます。
そのとき、わたしはひとりでした。
見に行っても意味がないからです。
わたしはきこえないので席は前から二列目に固定されています。
校舎側か窓側かその違いだけ。
席に座ってただただ彼らを眺めているだけ。そんな自分が嫌いでした。
彼らと同じように喜び、残念がる。
それらの感情を分かち合うことができない悔しさがありました。正直、彼らが羨ましかった。
わたしの隣の席ははずれの席だという扱いもありました。
・・・同じように生きたかった。
わたしも一応くじを引きましたが、後ろの席が当たったときは嬉しかったです。
なにかが起きて後ろの席に座れることなんかないかなあ。淡い期待を持っていました。
それは、空想と現実のはざまで生きている小学生だから感じることではないでしょうか。
ほかの人と違うことを認めるのは、聴者と同じように生きるのを諦めることだと思い、きこえる人よりも何倍も努力しなければならないという思いが中学生まで続きました。
「きこえないのにすごいね。」
わたしはそう言われるために生きてきたのでしょうか。
そんな違和感を持ちながら、県内トップレベルの高校に受かり、初めての挫折をそこで味わいました。
ひとりのために配慮を設ける時間と人を割くことはできないと支援を断られました。
であれば、今まで通り何倍も努力すればいい、何とかなるだろうと思っていましたが、その甘い考えは通用しませんでした。
いくら努力したとしても、上には上がいることを感じ、きこえていればもっと上に行けたのか。そこでも「きこえない」という壁にぶつかりました。
わたしにとって「きこえない」という現実を直視せずにいられる方法は競争によって生まれる優越感を味わうことでした。
高校3年間、わたしが生まれてきた意味について考え続け、自分を保つために1つだけでもいい何か武器を求め、唯一おもしろさを感じた「化学」にのめりこんでいきました。
みるみるうちに、化学だけ模試の偏差値80越え、化学だけ学年でトップクラスの成績を取り続けたことは今でも誇りであると同時に、武器となっています。
ところで、おもしろくないものを勉強することは苦痛ではなかったでしょうか?
おもしろくないけど、勉強しなければ大学に行けない。それが一般的だと思います。
そもそも、子どもがおもしろくないと感じる原因としては教える側に問題があると思います。評価は教える側につけるべきであって、子どもにつけるものではないと。
おもしろくない授業に興味や関心がそそられますか?
・・・話が脱線しましたね。
わたしの場合は、わかったふりが顕著に目立ちました。
きこえないから授業の内容が入って来ないにもかかわらず、ウンウンとうなずいていました。
情報のつかみ取り方を、高校のときに知らなかったのです。
知っていたとしても、障害受容ができていなかったのでそれを実行することはできませんでした。
これはわたしの努力不足なのでしょうか?環境によるものなのでしょうか?
「おれはどう生きていったらいいの。」
ひとりで考えていても仕方がない。そこで母に自分の障害について相談しました。
「ごめんね。きこえる子どもとして産んであげられなくてごめんね。」
母親は泣きながらそう言いました。
言われたかったのはそれじゃない。求めていることばはそれじゃない。
さまざまな感情がわたしの中で渦巻いていました。
母親を泣かせてしまったことに対する申し訳なさ、母親に対する失望などが渦巻き、何も返せませんでした。母親の苦悩を近くで見てきたのですから。
母親を責めることはできませんでした。
ただ、そのことばを思い返すたびに自然と泣いてしまうほどの哀しみに襲われました。
その時から、母親を取り巻く社会や子どもを取り巻く社会が及ぼす影響は親と子どもの関係に大きな影響を与えるのではないかと考え始めました。
きこえる子どもとして産まれてくることが幸せなのでしょうか。
子どものことを考えればきこえた方がいい。そう考えることが自然なことなのでしょうか。
どこからその考えが生まれてきたのか、わたしには不思議で仕方がないのです。
◆きこえない子どもたちには社会を変える力がある。」~これから~
わたしは現在、香川大学 学校教育教員養成課程 理科領域に在学しています。
香川にはデフアカデミーのようなきこえない子どもたちが集まる場所がありません。
もちろん、親がきこえない子どもを産んだ時に感じる苦悩を共有できる場所も存在しません。
難聴対策議員連盟の方とお話しした機会があり、多くの保護者は出生後間もない時期から発達や発育に見通しが立たないまま不安を抱えている場合が多いというのもあり、喫緊の課題であると感じました。
自らの経験上、きこえない子どもたちがロールモデルと出会うための場所、機会を作ることがインクルーシブ教育が推し進められる中、必要なことではないかと思うのです。
ロールモデルといってもアスリートや芸術、各方面で活躍しているろう者の成功体験や失敗体験を知ることではありません。そこから勇気をもらえたとしても、効果は一時的なものである場合が多いです。
わたしの考えるロールモデルとの出会いというのは自分と同じ環境に生きている人の生き方を通し、自らの生き方を省察することです。
好奇心や関心など、自分自身の内なる欲求にしたがって、自らの人生をより豊かにしている人と出会うことです。
さらに、自らがさまざまな経験をし、成功体験を積むことで自らの行動に意味づけができるようになることが必要です。しかし、その行動に意味づけができるまで、長期的な援助が必要になるので半永久的にわたり、親や子どもが安心していられる居場所を香川に作ることが求められています。
長期的にわたり、個々の子どもたちの特性を活かし、学びを最適化していくことで子どもたちは自らの才能を開花させていくのではないかと考えた時に、このことばが浮かびました。
「きこえない子どもたちには社会を変える力がある。」
子どもたちが自らの生き方を模索し、彼らが壁にぶつかったときに
よりよく生きたいという願いに寄り添ってあげられるような居場所を作ることが必要なのだと感じました。
現在は学習支援活動、キャンプの企画を計画しており、今後は連続的である子どもたちの成長を見守っていけるような体制を作っていくつもりです。
デフアカデミーという場から子どもたちを預かる責任の重さを肌で感じ、自らの信念に従い、行動していきます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
【プロフィール】
執筆者:國富浩人(くにとみひろと)
香川大学在学。2023年春にデフアカデミーでインターンを経験しました。令和5年時点、香川県では小・中学校合わせて難聴学級が40ヶ所設置されており、また、各学校での支援学級に在学している子どもは1~2人しかいない状況です。この状況の中で子どもたちはいかに生きるのでしょうか。
インクルーシブ教育が推進されていく中で、私は自分と同じようなきこえない人と出会う機会や情報が子どもたちには保障されていないと考えました。そこで、子どもたちが他者の生き方に触れ、自分がどう在りたいのか、自らの生き方を省察する機会を設けたいと考え、勉強会という形で、活動を始めました。